甲府市上帯那町に位置する御巣鷹山の水晶鉱山跡が、「御巣鷹山水晶鉱山遺跡」として遺跡になりました(2024年2月14日)。
御巣鷹山では近世から近現代にかけて水晶が採取されていたことが知られています。
この御巣鷹山の水晶鉱山跡が近世・近現代の生産遺跡として遺跡に位置づけられました。
近世・近現代以外では、御巣鷹山周辺で水晶製の石器が出土する縄文時代の遺跡も報告されています。
現在発見されている古文書の中で最も古い御巣鷹山の水晶に関する記述として、文政9年(1826年)の『水晶盗掘ニ付御巣鷹山ニ相掛候儀対談書』が知られています(『甲府市史 史料編第五巻』)。
これは御巣鷹山の「岩下」という場所で塩平(現:山梨市)の百姓が水晶を盗掘したことをきっかけに、御巣鷹山を管理する黒平村・上下帯那村が御巣鷹山の管理を厳重にすることなどを取り決めた対談書です。
その後、様々な古文書に御巣鷹山の「岩下」という場所での水晶採取・盗掘がなされていたことが記されますが、天保8年(1837年)には御巣鷹山の「岩下」と「向山」という2箇所を記した文書が発見されています。
以降「岩下」の記述が減少する一方で「向山」の記述が増加し、明治時代以降は向山坑や向山鉱山と呼ばれるようになりました。
「御巣鷹山水晶鉱山遺跡」という遺跡の名称は近世の水晶採掘という観点を重視した名称です。
現在は日本遺産「甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡 ~水晶の鼓動が導いた信仰と技、そして先進技術へ~」での学術調査によって御巣鷹山産の水晶利用に関する研究が進められ、山梨県生涯学習推進センターでは当館学芸員が講師を務めた現地見学会も開催されています。なお、本遺跡内で水晶を採取することはできません。