水晶の歴史①:山梨の旧石器~縄文

今回は山梨での先史時代における水晶利用の調査状況を紹介します※1。
この時代、水晶は「道具の材料」として利用されていました。

日本列島に人類が到達した後期旧石器時代は38,000年前と考えられています。
山梨で最古級の遺跡は約30,000年前と考えられており、その頃の遺跡がいくつか発見されています。
・横針前久保遺跡(北杜市)
・立石遺跡(甲府市)
・一杯窪遺跡(都留市)

この中の横針前久保遺跡では、試掘時の1点を含めて12点の水晶が出土しています。
12点のうち7点が赤外線で分析することができ、6点が金峰山系の水晶であることがわかっています。
山梨でヒトが使った最古の水晶は金峰山系の水晶であったと考えられます。

山梨から離れてみると、約30,000年前の遺跡である東京の川岸遺跡(東久留米市)で塩山系の水晶が、長野県の矢出川遺跡群(南牧村・川上村)で金峰山系の水晶が確認できました。
この時代から山梨産の水晶が流通し、利用されていたと考えられます。
ただし、石器全体の出土量の中で水晶が占める割合は1%もありませんでした。

旧石器時代の水晶の流通

次に、縄文時代を見てみましょう。
縄文時代になると、黒曜石よりも水晶が多く出土する遺跡や住居跡が確認されるようになります。
水晶の出土が100点を超えるような遺跡は甲府盆地東部に集中しています。
分析の結果、これらの遺跡から出土する膨大な量の水晶は塩山系の水晶であることがわかりました。
金峰山系の水晶も確認されていますが、旧石器時代同様に少量でした。

縄文時代の水晶の流通

縄文時代、翡翠の大珠に代表されるように様々な石製の装身具が見つかっています。
しかし、水晶製の装身具は見つかっておらず、あくまで石器石材でした。
ヒトによる水晶利用は装身具ではなく道具の材料として利用することから始まり、山梨では塩山系の水晶がその役割を果たしたと考えられます。

塩山県の水晶

※1 山梨が他の地域に先行して水晶を利用していたというわけではありません。本コラムでは当館での調査の内容を紹介します。