水晶の歴史②:弥生~古墳

弥生時代になると金属器が日本に登場し、石器が利用されなくなります。
縄文時代まで石器石材として利用されていた水晶も、石器石材として利用されなくなりました。

弥生時代の水晶利用として、弥生時代中期から埋葬品として水晶製玉類が使用されるようになります。
水晶を玉に加工した国内で最初の遺跡と考えられているのが京都府京丹後市の奈具岡遺跡です。
奈具岡遺跡では水晶の原石、玉製品の生産工程における各段階を示す未製品や、加工に使われた工具などが多数出土しています。

縄文時代との違いとして、①鉄製道具を利用して水晶の原石を分割する技術②鉄製道具を用いて穴をあける技術、③砥石を利用して玉に加工して磨き上げる技術、が登場したことあげられます。
鉄器の普及によって水晶は装身具の材料になりました。
弥生時代中期末から後期初頭には鳥取や島根の山陰、弥生時代後期から古墳時代初頭では九州北部で水晶製玉類の生産が行われたと考えられています。

これらの水晶玉が中部地方で発見された例として、長野県岡谷市の天王垣外遺跡の玉類があげられます。
明治40年の発掘で、362点の玉類が納められた壺が発掘されました。
内訳は翡翠製の勾玉66点、碧玉製管玉152点、石英製管玉134点、水晶製小玉10点です。
水晶製小玉については奈具岡遺跡で発見されたものとよく似ていると言われています。

天王垣外遺跡の水晶小玉
出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム(詳細はこちら

弥生時代はガラス・石の玉・貝などの装身具が一般的でしたが、古墳時代になると金属を利用した装身具が広まります。
特に古墳時代中期以降は銅製品に金メッキを施した金銅や純金・純銀といった華やかな装身具を身に着けるようになりました。

装身具の種類は冠・耳飾り・指輪・腕輪・沓(くつ)・首飾りなどと多岐にわたります。
中でも首飾りには様々な石製の玉があしらわれました。
皆さんがイメージするような水晶製の勾玉も首飾りの一種です。
もっとも有名な玉作工房は、古墳時代前期から平安時代まで続く史跡出雲玉作跡(島根県)ではないでしょうか。
山梨に目を向けると、古墳時代前期の甲斐銚子塚古墳から水晶製勾玉が4点発見されています。

甲斐銚子塚古墳の水晶勾玉
出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム(詳細はこちら

古墳に副葬された玉類はどこで作られたのでしょうか?
残念ながらその答えはわかりません。

山梨で玉作りに関わっていた可能性のある遺跡は、甲斐市にある御岳田遺跡です。
御岳田遺跡では水晶原石8点と加工途中の丸玉未製品1点が見つかり、水晶を玉に加工する工房の遺跡であった可能性が指摘されています。
御岳田遺跡出土の水晶を調べると、塩山系や金峰山系とその原産地は様々であり、縄文時代には使われていない原産地の水晶が利用されていることがわかりました。
装身具として身に着けるためにより透明度の高い水晶を求めて水晶を捜し歩いたのかもしれません。

さらに、周辺に目を向けると、埼玉県の反町遺跡や前原遺跡で山梨産の水晶を加工していた玉作工房跡が見つかっています。
この2つの遺跡で見つかった水晶は山梨の塩山系の水晶で、旧石器時代や縄文時代同様に塩山系の水晶が広く流通していたことが明らかになっています。

前原遺跡出土の水晶製勾玉未成品など(山梨産塩山系の水晶)

水晶は山梨ブランドの最古だと言っても良いのではないでしょうか。