水晶の歴史④:神事と水晶

前回「水晶の歴史③:仏教と水晶」で紹介したように、聖徳太子が冠位十二階を定めたことをきっかけに日本での身分制度が始まりました。
この冠の色による身分制度は701年に大宝律令が制定されるまで使用され、大宝律令の後は位階(官名、位号)による身分制度に変更されました。

710年に平城京への遷都が起こり、奈良時代が始まります。
日本の国情により適合した律令を作るため718年から養老律令の編纂が始まりました。
この養老律令は、衣服令(えぶくりょう)で身分に応じた公服として礼服(らいぶく)・朝服(ちょうぶく)・制服(せいぶく)を定めました。

礼服は重要な祭祀、大嘗祭、元旦のときに着る服として定められ、孝明天皇の即位(1847)まで用いられることになります。
この礼服で身に着けるものの中に、水晶を利用する品物がありました。

1つ目は礼服用の冠である礼冠です。
天皇・皇太子だけが着用する礼冠である冕冠(べんかん)は、その中央に水晶でできた宝珠と金属製の火炎からなる火炎宝珠が飾られています。
その他に、四品以上の親王が着用する礼冠は冠上部に水晶三粒、琥珀三粒、青玉三粒を取り付けることが定められています。

孝明天皇の冕冠(宮内庁)
出典:Wikipedia(詳細はこちら

2つ目は玉佩(ぎょくはい)です。
腰に帯びる装身具で、5色の玉を貫いた5本の組糸を金銅の花形の金具につないで足先に垂らし、沓 (くつ) 先にあたって鳴るようになっています。
先端には水晶製の露が付けられています。
現存するものとして、熊野速玉大社には南北朝時代の玉佩が御神宝として納められています(詳細はこちら)。

最後の3つ目は唐大刀・飾太刀です。
唐大刀や飾太刀は華美な装飾が施された儀礼用の刀です。
唐大刀は飛鳥・奈良時代に唐から伝来した大刀、もしくはその様式にならった和製の大刀を指します。平安時代以降は公家の正装となった束帯にあわせて飾太刀と呼ばれるようになりました。

金銀鈿荘唐大刀(正倉院宝物、8世紀)
出典:Wikipedia(詳細はこちら

奈良時代のものでは正倉院に伝来する「金銀鈿荘唐大刀」が有名です。
鞘には水晶や色ガラスの玉が飾られた唐草形の金具が付けられています。
また、20年に1度の式年遷宮を行う伊勢神宮でも、御神宝である玉纏御太刀や須賀利御太刀などの鞘に水晶、色ガラス、瑪瑙、琥珀、瑠璃の玉が使われています。
この式年遷宮は第1回目を690年に実施していますので、718年の養老の衣服令以前から唐大刀の飾りに水晶が利用されていたと考えられます。

古墳時代以前に権威の象徴として利用された玉装は、途切れることなく現代にいたるまで神事の中に受け継がれています。