電気もなかったその昔、水晶はどのように加工していたのでしょう?
江戸時代の職人図鑑には「金剛砂を使って鉄の樋にあてて水晶を磨いた」と書かれています。
この作業をみんなの力で再現すべく「みんなでみがく水晶玉」を開催します。
水晶原石から水晶玉を作るには、はじめに原石を大まかに丸になるように打ち欠きます。
今回は200年以上にわたり水晶細工業を営んでいる土屋華章製作所の伝統工芸士、藤森信行さんに成形していただきました。
この成形した水晶の表面を金剛砂で磨くだけで水晶玉はできるのか?
みんなの力を合わせてデコボコ水晶をピカピカの玉にみがきあげてみましょう!
期間は8/30(金)までの予定です。
なお、この企画は公益財団法人ポーラ伝統文化振興財団からの助成の一部を利用して実施しています。
江戸時代の職人「珠摺」について詳しく知りたい人はもう少しお付き合いください。
今回参考にするのは『人倫訓蒙図彙』に書かれた「珠摺」という職業です。
画像は京都大学附属図書館より転載(部分)。
解説には「眼鏡、珠数粒、舎利塔、皆水晶をもつて造る。其の外諸の石緒占、是を造る。金剛砂に水を洒ぎて、鉄の樋にあてて、是をするなり。伝へ聞く、唐土にはさまざまの名珠有り。日本にては、昌泰年中に陸奥より掘り出だせり。京御幸町通四条坊門の下、其の辺に住す。大坂は伏見町にあり。」と書かれています。
金剛砂はザクロ石という鉱物が小さく砂くらいの大きさになったものです。
国内では奈良県と大阪府にまたがる二上山が産地です。
『続日本記』には743年に「逢坂山の砂を用いて玉石を冶む」と記されており、研磨剤として利用されていたことが知られています。
硬さの基準であるモース硬度では水晶は硬度7ですが、二上山の金剛砂は硬度7.5で水晶よりも硬い硬度を持ちます。
このことから金剛砂は水晶を効率よく磨くために重要な役割を担っていたと考えられます。
硬度7.5の金剛砂で水晶がどこまで磨けるのかはわかりませんが、この機会に江戸時代の技術を体験してみてください。